渋治の書庫

渋治の書庫

メンテ中

右手




 
右の犬歯がどうも最近ぐらついてきた。それだ
から飯を食う時にそ奴がグラグラして何とも頼り
な気で、いっそもいでしまおうかとも考えるのだ
が、一度そ奴を捻ってみたところまだその時期で
ないことをそ奴は 「ぶきっ」という悲鳴で教えてくれた。

だが私は、右手がその後も何度かそれをし
ているのを見、右手は実はその 「ぶきっ」という悲鳴聞きたさにそ奴を捻っていることに気付き、我
が右手ながら薄ら寒い気になり ぶると身震いして同時にそ奴を捻る右手を左手で叩き落とした。

しかし、右手はなかなか強情とみえ、そ奴を捻る
のを止めずいつしかそれが右手の常となった。
ある日そ奴の根底がとうとう揺るいでしまったとみえ、ずぶと断末の悲鳴をあげたかと思うと根っこから取れてしまった。
 
その時既に右手がそういうことをするのが当たり前になり日常の何等意味ない動作、息をするように無意識に思ってしまっていた左手は、時既に遅しとばかり、ない頭を抱え苦悶した。

右手はというと、それがいつも当たり前で習慣と
なっていた為、思わず取れてしまったそ奴をただ呆然と見つめるしかなかった。

それから右手はしばし、そ奴を愛おし気に手の平の上で転がしてみたり、時折左手も可哀相がってそ奴を撫でたりもしていたが、やがて右手はそ奴を ぽいと庭に放り投げてしまった。左手は慌ててそ奴を拾い上げ右手をきっと睨みながら『ちゃんと最後まで診てやれよっ』と叱った。それから、『こういう時は ”鼠の歯と入れ換えて下さい”と床下に放るんだよ』と優しく諭した。

私はそれら一部始終をただ じっと見ていた。そして泣いた。なぜなら、私の歯はもう一本もないのだから。



 

ねんねん坊やの子守唄

 
ねんころ ねんころ
ねんころりん
ねんねん ころりん
ねんころりん

ねんねん坊やは
ウワバミの口
かあさんそれ見て
腰抜かす
はぜの木止まって
目をこらす

お次は何を食わしましょ
お次は何を食わしましょ

ねんころ ねんころ
ねんころりん
ねんねん ころりん
ねんころりん

ねんねん坊やの
お口は赤い
あの山 この山
越えても見ゆる
尾っぽをふりふり
目を見張る

お次は何を捕えましょ
お次は何を捕えましょ

ねんころ ねんころ
ねんころりん
ねんねん ころりん
ねんころりん

ねんねん坊やの
眠る頃
かあさん小枝に
刺したとさ
蛙にイモリに
四本足

お次は何を刺しましょか
お次は何を刺しましょか

ねんころ ねんころ
ねんころりん
ねんねん ころりん
ねんころりん

ねんねん坊やの子守唄
かあさん唄う百の声
ねんころ ねんころねんころりん
ねんねん ころりん
ねんころりん



 

地団駄


私はこんな風体だったか。
私はこんな風になる為
に生まれてきたんではないはずだ。

見よ、この憐
れな姿を。

皮膚は擦り切
れ所々腫れ上がっている
ではないか。

私の顔はこんなんではなかったぞ、
私の顔はもっと面長でキリリとしていたはずだ。

あぁ、悲しいかな、これを見てくれたまえ、
私のこれが口かえ、こんなふざけた口だったかえ、
こんなダラリと呆おけたものだったかえ。

おかしいじゃないか、
おかしいさ、
夢じゃないなら尚更さ。

うんうん、この痛みは
夢でないことを教えてく
れている。


ああ、承知しているさ、分かってるさ。
寄る歳で半ば諦めてはいたんだ。
が、時折くる痛みに、
しかし最近じゃ堪えられなくなってきた。

悲しいさ、切ないさ、
辛すぎるさ・・・。

しかしこの鼻を突く臭いはなんだ。
これは余程のものだ、重傷だ。加歳臭か。
いやいやこれは、私ではない、断じて私では
ない。私を今日までこき使い無下にし放置してきた中年男のそれだ。

だのに皆は、私に向かっ
て臭い臭いとしかめっ面
を投げ、意地の悪い言葉
を吐きかけるのだ。

これが悲劇でなく何と言
わしょ。

ひとしきり泣き喚いた
革靴は、踏めない地団駄
を思いきり踏んだ。



 

眠る子


 うつらうつらと
 闇夜に浮かぶ
 白い着物が
 ゆらゆらするよ
 ゆらゆら着物は
 摺り足で
 障子の向こうの
 仄明かり
 薄目を開ければ
 鬼笑う
 屈めた腰に
 大きな舌
 固く閉じれば
 ぞろりと撫でる
 開けば地獄
 鬼の舌 鬼の舌


 

宿無し女のブルース

 
 
あたいは宿なし。
それはあたいが望んだこと
誰に文句もありゃしないさね。

あたいはそれで、じめじめしたこの都会の片隅が大層気に入っておりましてね、いいこともそうでないこともそりゃ色々ありますがね、すべて水に流してなんとかやっとります。

時に
心根が
疼いて
若いもんと
同じようなことも
してみますがね、

いや~
これが
どうにも
こうにも、
身体の方が
思うように
動いてくれませんでね、
そん時ゃ
年甲斐もなく
泣けてきましてね、
 
 
ふふっ…
 
 
  
 
 
知り合いの
おやっさんがね、
先だって
亡くなりましてねぇ。
おやっさんも
やっぱり
似たようなもん
でしてね、
 

 若いもんには負けん!!


そう言って、
あの日
あん子らが
よく行く
この先の
バーに
行ったんですわ。

はあ…
あたいはね、
やめときなよ…
って、
止めたんですがね、
え~。
おやっさん
頑固でね、
それ以上どうすることも
できんかった
んですわ…。 
 
 
 

おやっさん、
あん子らに
からかわれながらも、
その店で
一番の
別嬪さんのいる
カウンター席に
向かったんですわ。
 
 
  
 
ところが、
おやっさん、
別嬪さんの
ずっと手前で
緊張のあまり
動けなく
なっちまいましてね。
それから
程なくして、
口髭を
生やした
マスターが
やってきましてねぇ、
おやっさん、
そいつに
摘み上げられちまった
んですわ。

おやっさんには
申し訳ないがね、
決して
綺麗な風
でもなし、
どっちか
言ったら…
人好きのする
風情じゃありません
からですねぇ…
あたいらは。
 


それで
あの
別嬪さんが
気付きましてね、
別嬪さん
それから
おやっさんの
顔を
潤んだ
眼差しで
しばし
見つめた後、
赤い口
から
青白い
煙りを
スー…

吐き出すと、
聖母
のような
柔らかい
声で
言ったんだってさ…。
 
 
 
 
-マスター…
   塩…-

 
 
 
はぁ……
今夜は
冷えるねぇ…
なに
笑ってんのさっ、
あんたら
若いと
思って
いい気に
なってんじゃないよ。
あんたらも
いずれ
そうなんだよっ。




なぁ…
あんたらさぁ…
これは
ほんとに
ほんとの
素朴な疑問
なんだけどさぁ、
あたいら
歳しゃ~
離れてっけどさ、
同類なんだよ。
なぁ、
これぽっちも同情ってもんは
湧かないのかぃ。




なっ、
ちょいと、
なんだよ
あんたら!?
ちょっ、
よしとくれよっ!?
なんて顔すんのさ。
あんたら
若いもんに
そんな
暗い顔は
似合わない
ってーのっ。 
 
 
たっ…
ったく、
なんなんだよ、
日頃
なんの
苦も
ありゃしないような
顔して
怖いもんなし
みたく
傍若無人
に振る舞って
んのにさ、
そっ、
そんな
しんみりすんじゃないよっ!!
  
 
 
  
…気が…
…抜けんじゃないか…
 



あたいらはさ、
あんたらの
その
溌剌とした
いつだって
自信に満ち溢れた
そして、
こまっしゃくれた
(小生意気)
屈託ない
飛びっ切りの
笑顔が
大好きなんだよ。

おやっさん
だって、
そうさ。
あんたら
若いもんに
気力
貰ってたんだよ。
だから、
だから…
あん時も…。

あんたら
若いもんが
そんな
暗い顔してちゃ
駄目なんだよ!!
あんたらが
そんな顔してちゃ
この街は
終いさね。
おやっさんも
浮かばれないよ。




いいんだよ。
そんな
大人ぶんなくともさ。
わかってるさ、
子供扱い
する気は
ないさ。

けど
いずれ
そんな歳に
なんだからさ、
あんたらも。

焦んなくて
いいんだよ。
あんたらの歳にゃ
あたいらも
そうだったさ。

-今-

-自分-

-幸せ-

それが
全てだったんだからさっ。

けどねぇ、
同類として
これだけは
言っとくよ。




女と塩
には
よくよく
気をつけんだよっ。




あたいは
宿なし。

けれど
あたいが
望んだことだもの
誰に
文句も
ありゃしないさね。

ただね、
ただ…
夢を
見たい
時も
…あるって
ことなんですよ…
 
 

    一
  夜の帳が
  下りる頃
  しとしと
  ネオンが
  燈ります
  しとしと
  ネオンは
  愛おしげに
  宿なし女を
  抱きます
 
   ニ
  宿なし女の
  見る夢は
 
  たいそな
  夢では
  ありません
  今日も
  明日も
  あさっても
  此処に
  こうして
  いたいだけ
 
  ぬらり
  ぬらぬらぬらりらと
  宿なし女は
  今日もまた
  ぬらり
  ぬらぬら
  ぬらりらと
  銀の足痕
  残します
  
  ゆらり
  ゆらゆら
  ゆらりらと
  ネオンの
  揺り篭
  身を任せ
  ゆらり
  ゆらゆら
  ゆらりらと
  明日を
  夢見て
  おやすみよ
  宿なし女の
  ブルースよ

 
『宿なし女のブルース』 
 作詩 歩く人
 作曲 森人



ぬ~らり~
  ぬら~ぬら~
 
   宿なし女は
 今日~もまた~
 ぬ~らり~
  ぬら~ぬら~
 
  銀の足痕~
 残し~ま~す~
 ゆ~ら~り
  揺られ~て~
   お~やすみよ~♪  

   …ヒック…
  


 -おしまい-




 2013.12/6移動